チャレンジと称して食材で毒を作らないでほしい
俗にいう「大食いチャレンジ」「激辛チャレンジ」というものを提供するお店やそれを見て楽しむ番組が、どうしても食べ物をムダにしているとしか思えず観るのが好きではありません。
他人に聞いたら「なんで?」と聞かれたので頑張って言語化します。
おいしく食べればいいのにと思うこと
デカ盛りも地獄の激辛うどんも共通しているのは、人体のキャパシティをあえてオーバーさせていることです。要はアプローチが違うだけでどっちも同じだと考えます。
薬も過ぎれば毒になると言いまして、つまり裏を返せば適量を守れば素晴らしくおいしいお料理にも変身できるということです。食べられるものに罪はない...ヌシには幸せになる権利があるのじゃ。
企画者が好きではない
単純に僕は人が苦しんでるのを見て楽しむ文化が理解できないのですが、それを出すとただ「面白くない」だけで全ての論が終わってしまうのであえて別の言葉を使っていきましょう。
こういう企画って要は、困難に直面した人が必死になるのを見て笑う趣旨だと考えているんですけれども。確かに面白さというのは本気の感情が受け手に情報として伝わった結果あふれ出るものであって、その本気の感情を作り出すという意味では人を苦しめる手法は理にかなっているといえなくもない、かもしれません。
しかし他人の苦難で笑うにはもう一つ条件があって、自分が絶対安全でなければいけないのです。それはかつての剣闘士の文化でも人類が通った道であります。
要は何が気に食わないのかというと、この企画を「面白いもの」として提出した時点で、当の本人は既に他人事ではありませんか。もしも自分がそのでっかいもの・辛すぎるものを食べる可能性が少しでも頭によぎれば、迷わず手に持った企画書を破り捨てるはずでしょう。あきれた王だ、生かしておけぬ。メロスは箸を投げた。
当人達が我慢しないと成立しない面白さなんて面白さじゃないと思います。
こぞって毒を生み出す人たち
一番いや~な人たち。
おいしいものを作って提供してお金を稼ぐことを選んだんじゃないのけぇ。それがただ流行りってだけで拘りなく変なメニューを作ろうとしないでほしい。脂や辛み成分が全て沈殿してスープはドロッドロ!ってそれ料亭で「す」が立った大根を出すレベルの事案では?
「自分じゃとても食べられないですw」自分が食べられないものを他人に出すな。
「番組のファンで~」先駆者にインスパイアされて劇物を生成するな。
「完食でお代はいただきません、以上!」万が一にも採算がとれるように保険をかけるくらいなら提供すな。
上記のように、紹介してもらえる確率が高いというだけで好きでもないものを作りましたっていうような下心が透けて見えるようで好きではありません。個人経営店にとってメディアの宣伝がどれほど重要なものかは理解しているつもりですが、それにしたってもう少し上手に人を騙してほしいと思います。へたくそな嘘をつく人は嫌いです。
さいごに
悶えながら辛い物を食べきる人より、ケーキ一個焼きイモ一本めっちゃ美味そうに食べる人の方がすごいし面白いと思います。そんなことよりチョコモナカジャンボ買って食べようぜ!おしまい